木曽馬と三岳村

木曽馬は日本在来馬の一種とされ、古い系統をもつ馬です。日本在来馬そのものが稀少であり、現在は開田高原で大切に保護されています。そんな木曽馬と三岳村の関係について、解説していきます。

なお、画像は開田高原にある木曽馬の里で撮影したものです。現在もなお木曽馬の姿を見て触れることのできる貴重な場です。ぜひ訪れてみてください。

リンク:木曽馬の里

木曽馬の歴史と特徴

木曽馬に関する歴史的な記述として、戦国時代に、領主木曽氏が馬の畜養税を徴収した記録が残っています。
また、江戸時代に木曽福島町に置かれた代官の山村氏も積極的な産馬の奨励を行い、木曽馬が全国的に著名になったとされています。

  • 木曽馬の特徴

日本在来種である木曽馬の特徴は、

①馬の体格は低い(平均133cm)ものの、消化器官がよく発達していて粗食に耐える素質をもっている
②放牧されるため、四肢が強く、体格の割に力がある
③性格がおとなしく、女性や子供でも扱うことができる

などとされ、農家が農耕馬として飼うのに適していました。

木曽や三岳における飼育数

昭和の初めには、木曽郡で約5,000頭が飼育されていたようですが、第二次世界大戦後は約1,000頭となり、昭和30年代には約700頭となったようです。
この背景として、農家にとってのパートナーが馬から牛に代わってきたことが大きいようです。

三岳村でも木曽馬が飼われていました。昭和10年代には500頭を超える数の馬が飼われていたようです。しかし、木曽郡全体の飼育数減少と同じく、三岳村でも馬の飼育は下火になり、昭和50年には村内で馬を飼う人もいなくなりました。

引用:三岳村誌

まとめ 

筆者は40代ですが、私が生まれる前までは確かに馬を育てていたようです。その頃は農耕馬として大切に飼育されていたと聞いています。しかし、私が生まれた頃には既に馬はいなくなっており、飼育していた小屋のみ残されていました。
村内から馬はいなくなりましたが、その馬を大切に保存している開田高原の方々には敬意を表したいと思っています。

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