原始時代の遺跡

旧「三岳村」には、縄文時代から弥生時代までの遺跡が、旧村内全域から発見されています。

その数は現在まで32か所に及んでいます。時代別には、縄文時代の遺物が発見された遺跡は32か所全てであり、弥生時代には2か所とされています。

32か所はすべて河川に沿った段丘上に位置しており、古代の人々は数少なく狭い平坦地に集中して住んでいたことがうかがえます。

三岳を含む木曽谷は東日本と西日本の文化が共存する東西文化の接点の地であり、活発な交流は成されていた反面、厳しい自然環境や狭すぎる地理的制約から、人々は長い間定着できず、文化の通過地点であったとされています。

遺跡から発見された土器などは、木曽町三岳支所(旧三岳村役場)に安置されています。来訪した際に見学することも可能です。

若宮遺跡について

中部地区田中には、「若宮遺跡」が復元されています。

若宮遺跡については、昭和29年に発掘調査が行われました。
縄文時代の早期から中期までの遺物が採集され、縄文時代中期の竪穴住居の跡も発掘されています。
この住居のうち、第二号住居が復元されており、一般の方も自由に見学が可能です。

若宮遺跡には、御嶽神社・若宮の境内から進んでください。

この若宮遺跡と、その北から発見された三ツ屋遺跡からの出土品は三岳地区最大量であり、この集落が三岳地区で最大だったことをうかがわせます。

原始時代の後

縄文時代の中期までは多くの集落が存在していたようですが、縄文時代後期・晩期になると急激に遺跡数が減少します。

木曽全体でも遺跡の出土が減少していますが、その原因は、気候の寒冷化によるものとされています。

地域が寒くなり、主食としていたドングリや栗などが採れなくなったため、かつ寒くて住みづらい地域となってしまったためではないでしょうか。

細々とではありますが、このような寒冷な時代においても三岳地区では引き続き人の居住した証拠となる遺跡が発見されています。

しかし、弥生時代前期を最後に、三岳の地から人々の住んだ痕跡は消えてしまっています(木曽谷全体でも同様です)
稲作を中心とした時代に、三岳のような狭隘な山間での生活が適さなかったのではないかと思います。

再びこの地に人々が戻るのは、約1000年後の平安時代後半のことです。

御嶽山から見た三岳の山谷(中央は倉越高原)
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