牧尾ダムの建設
旧三岳村と王滝村の境に位置する牧尾ダムの建設の歴史について、ご紹介します。
牧尾ダムの建設前夜
牧尾ダムは、旧三岳村と王滝村の境に位置する牧尾という場所にあり、昭和36年に完成したダムです。
建設当時、愛知用水事業と呼ばれ、木曽川下流の濃尾平野の灌漑用水を確保するために昭和25年から計画されました。
通流地域は当時典型的な欠水地で、ため池が多数分布していたものの、日照りの常習的な災害地域だったようです。
また、知多半島では水が不足しているということで耕地化も進まず、都市の拡大も難しかったようで、沿線の市町村に約30万人分の給水を行い、臨海工業地の重化学工場に工業用水を供給することを目的としていました。
完成当時の牧尾ダム(昭和36年)
地域の水没と離村
当初は、王滝村の二子持(牧尾より若干下流域にある場所)に建設が予定されましたが、牧尾に建設する方が工費を大幅に削減できるということで、牧尾の場所に建設変更となっています。
この計画により、旧三岳村の黒瀬、和田集落(42戸、206人)がその土地、家屋とも失うことになり、王滝村においても、多くの集落が水没することとなりました。
反対運動も起こりましたが、計画は実行され、旧三岳村と王滝村の両村で139世帯が移転しました。
旧三岳村のおいて、全42戸206人のうち、昭和33年には200人が村外に移住し、6人のみ村に残りました。長野県内に残る人ばかりでなく、愛知県の三好町(現みよし市)や豊橋市、岐阜県の中津川市に移住する人も多かったようです。
この時、愛知県三好町に移住した人の縁により、旧三岳村と三好町が友好都市として交流するようになり、現在も木曽町とみよし市の良好な関係として継続しています。
黒瀬かぶ
この時失われた黒瀬集落で栽培されていた独特の野菜「黒瀬かぶ」は、偶然他の地域で栽培されていたものが伝承され現在も作られており、「道の駅三岳」で購入することもできます。
黒瀬かぶは、長野県の伝統野菜認定制度に認定も受けています。詳しくはぜひ以下を参照してください。