御嶽山の山小屋
御嶽山の登山が一般的に許容されるようになった江戸時代から、地元の三岳地区や王滝村には、茶屋や山小屋が設けられ、登山者を迎えていました。
三岳地区では、黒沢口から山頂まで、多くの茶屋と山小屋が設けられ、登山者の安全を確保する場としての機能も果たしました。
今回は、御嶽山の山小屋について、解説します。
山小屋のはじまり
御嶽山の山小屋に関する記録で古いものは、江戸時代の弘化四年(1847年)に、王滝口からの登山者が暴風雨のため遭難し、石小屋、あで下って救援を頼み、黒沢口へ下山したことが記されています。
この石小屋は、現在の九合目の「石室山荘」ではないかと言われています。
現在も営業している山小屋の創設年は詳細には分かりませんが、覚明行者の努力により、寛政四年(1792年)、代官の山村氏により御嶽山への一般人の登山が許可されるようになったため、その頃から山小屋が作られ始めたと推察できます。
明治期後の山小屋
明治期に入ると、御嶽山はその多くの部分が官有地となり、それまで比較的自由に経営できたと思われる山小屋に対しても明治政府の敷地使用許可が必要となりました。
この頃の文献には、
・金剛堂
・新小屋
・石室
・中小屋
が明治九年にこの許可の申請を行ったとされています。現在も残る山小屋の名前もあります。
さらに、二合目から三合目にかけては、複数の茶屋が営業しており、伝えられるところによれば、御嶽山の五合目付近の八海山の草地ではアイスクリーム店まで開かれていたようです。
現在の山小屋(八合目まで)
現在も複数の山小屋が登山客に食事や飲み物、寝所を提供しています。
車で御岳ロープウェイまで登り、飯森駅から歩くと、おおむね一合ずつ山小屋があります。
一番近いところが、行場山荘(ぎょうばさんそう)です。
山荘内はそのまま登山道がつながるような工夫がされていて、御岳ロープウェイから登山を開始した方にとっての最初の山小屋として、ひと休みしやすいところです。
また、この山小屋の名物「力餅」は、ぜひ食べていただきたい逸品です。
さらに八合目まで上がると、女人堂(にょにんどう)があります。
この山小屋の位置から視界が一気に開きます。外に広めの休憩スペースもあり、この女人堂で一休みして登山を再開する方が多いと思います。
ここより上の山小屋については、別の記事でご紹介します。