三尾の補陀落山普門寺について
三尾地区の桑原には、かつて普門院と呼ばれた、この地域の菩提寺があります。
現在、常駐の住職はいませんが、地元で大切に手入れされています。
今回は、普門寺について紹介します。
沿革
普門寺は、前述のとおり、江戸時代には普門院と呼ばれ、臨済宗妙心寺派福島長福寺の末寺(まつじ・本山の支配下にある寺)だったと伝えられています。
木曽義昌の時代(1540~1595年)に、木曽氏の家臣であり桑原地区に所在した刑部右衛門尉重久という人が、桑原に寺が無いことを嘆き、永禄元年(1558年)に、福島の長福寺に依頼して寺を作った、とされています。
桑原重久は自ら開基(かいき・寺を開いた人)となり、堂宇を作りました。
ただし、この伝承にある桑原重久という人が本当に木曽義昌の時代の人だったのかは未だに判然としておらず、一説には、寛永の時代に日向にあったお堂を今の普門寺の場所に移動させた時の桑原氏の当代が重久だったようで、人物名に混乱がありそうです。
明治時代に入ると、長福寺の和尚の弟子がこの寺に入り、住職となっていたようです。
昭和の終わり頃まで住職が在中していましたが、その後はまた住職不在となり、今日に至ります。
境内の様子
山門は鐘楼を兼ねており、その傍らには多くの石像が立ち並んでいます。
これらのうちには、文化・文政の頃(1804~1830年)、伊那高遠の名工といわれた石工守屋貞治が造った延命地蔵もあります。
鐘楼の梵鐘(ぼんしょう・釣り鐘)は、寛永四年(1627年)に檀徒から寄進された記録が残っています。
本堂には、本尊として十一面観音像が安置されており、これは元禄三年(1690年)に再興されたものです。
木曽西国三十三所巡礼
大泉寺の紹介でも説明しましたが、大泉寺と普門寺は、明治時代の頃、木曽西国三十三所巡礼の札所とされており、普門寺は山城国の六波羅蜜寺の分身として、十七番目の札所という扱いをされていました。
本尊の十一面観音像は、六波羅蜜寺の本尊を奉遷したものとされています。
黒沢地区の大泉寺と併せ、ぜひ訪れていただきたい古刹です。